洋書屋トトの読書生活

トトは古代エジプトの知識の神。この世のあらゆる知識を込めた42冊の本を書いたとされています。

京都 樂美術館へ

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前回の東寺の記事の続きです。

 

kusakui48.hatenablog.com

 

東寺を後にし、バスで楽美術館へ移動しました。私、バスに乗り慣れてません。しかも京都のバスの数は物凄い。系統がいくつもあり、どう乗っていいのやら。Googleマップを見つつ、恐るおそる乗りました。

とりあえず値段は230円で統一ぽいですね。どこから乗ってどこまで、という価格ではないみたい。東寺横から乗って、四条堀川で乗り換えましたが、、ここでやってしまいました。目当ての系統のバスを待って何本かやり過ごし、やっと来た、と思って乗ると、Googleマップの自分の位置が逆方向に移動してる!反対方向だったみたいで四条河原町まで行ってまた乗り換え。

そんなこんなで楽美術館には予定より遅く到着。駐車場をのぞくと、3〜4台とめれる小さい駐車場があり、一台止まってだけでした。車で来てもよかったなあ、と少し後悔。

 

楽美術館は、400余年続く、樂焼の窯元・樂家に隣接する美術館。入るのは今回で2回目です。

今は、能と樂茶碗というテーマで企画展(3/17 - 6/24)が行われています。

楽茶碗と、能面を並べて展示されており、茶碗の銘も能の演目にちなんだものが選ばれています。

上の写真のチラシに載っているのは「道成寺」という銘の赤樂茶碗と般若の面。道成寺安珍清姫で有名なお話。白拍子が鐘の中に飛び込み、蛇となって現れる様子がなんともすさまじい、能に似合わない大きな鐘の大道具を使用する演目です。

道成寺は私にとって特別な演目。能に興味を持つようになったきっかけでした。浅見光彦シリーズの『天河伝説殺人事件』、ご存知でしょうか。先日亡くなった内田康夫先生の小説で、映画にもなりました。確か財前直見さんが出てた、と思います。原作を先に読んだのか、映画を見て原作を読んだのか、今となっては覚えていませんが、鐘に飛び込んだ能のシテが、鐘の中で毒殺される。それも般若の面の裏側に塗られた毒をなめて。という内容で、それをきっかけにぜひ本物の道成寺を見てみたい、と思うようになりました。確か小説では、般若の面ではなく、道成寺では「蛇の面」を使う、般若の面に似ているが、舌が出ているのが違う、という話があったような気がします。

初代長次郎による道成寺は、その鐘を模した形。一目でその形から「異質な樂茶碗」という感じがします。写真のチラシに載っている般若の面から、何となく「能のイメージで般若の面なのかなあ」程度にしか思っていませんでしたが、道成寺という銘の茶碗だとは全然気づいていませんでした。

今回新たな発見は能の面です。増女(伝 千種)という女性の面がとても美しかった。茶碗と同じくらい、まじまじと面を見ていました。完全に引き込まれてしまいました。能面の『肌』は写真では決して感じることができない、現物を目にして初めて感じる質感です。能の面は、表情や表現を極限に抑えた、記号化一歩手前のようなストイックな感じがしますが、その『肌』だけはいやに生々しい、そのギャップに非常に魅力を感じました。

茶碗や絵を見に行くと、いつも考えるのは「1個だけ、気に入ったものをあげる、と言われた時どれを選ぶか」です。

今回は、シコロヒキという初代長次郎の手による黒楽茶碗の肌が素晴らしく、触って撫でまわしてみたい、と思いました。ぜひ画像を貼りたいですが、撮影禁止でしたし、ネットの画像も無断転載になるし。どうしたらいいんでしょうね、こういうの。